2013年03月19日
下田の街並み
下田市
下田のなまこ壁と伊豆石の町並み
下田の街並み


雑忠(さいちゅう)全景/廻船問屋を営んでいた鈴木家「雑忠」の屋敷には、下田の町家の特徴である、なまこ壁と伊豆石の建物が並んでいます。側面には見事ななまこ壁が連なり、蔵や塀には伊豆石も用いられています
平滑川沿いの町並み/了仙寺とペリー艦隊上陸地を結ぶ道のりには、近代の下田を代表する町並みが残っています
開港場
1854(嘉永7)年に日米和親条約が締結されると、下田は開港場となり、ペリー提督の艦隊「黒船」が来航しました。了仙寺が日米交渉の場となり、下田条約も追加締結されました。ペリー提督の上陸地から了仙寺までの平滑(ひらなめ)川沿いの道のりは、ペリーロードと呼ばれています。
下田の町並み
ペリー提督が入航した年に、安政の東海地震による津波が下田の町を襲い、大きな被害を受けました。そのため、安政以降の建物が多く、密集した下田の町は、防火的な伊豆石となまこ壁で造られた建物が並ぶ特徴的な町です。


安直楼(あんちょくろう)
安直楼は、米国総領事ハリスに仕えた「唐人お吉(とうじんおきち)」が、1882(明治15)年から料亭を営んだ木造2階建の建物で、江戸時代末期に建てられました。正面のなまこ壁に細かい格子を並べた姿が特徴的です。※内部非公開
なまこ壁と伊豆石の下田の町並みを散策しよう。※町家の内部は非公開です。
名称 | 下田の町並み(しもだのまちなみ) | ||
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概要 | 【町並】木造 | ||
年代 | 江戸末期〜昭和初期 | ||
電話番号 | 旧澤村邸/0558-25-4600 | ||
所在地 | 下田市3丁目16-10 | 定休日 | 水曜 |
営業時間 | 10:00~16:00 | 駐車場 | なし |
料金 | 無料 | ||
アクセス | 公共交通機関:伊豆急下田駅より旧澤村邸まで約1㎞、徒歩15分 車:沼津ICから南に約80㎞、約140分 |
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ホームページ | − |
2013年03月19日
山光荘(旧依田家住宅)
松崎町
入江長八の漆喰鏝絵となまこ壁の邸宅
山光荘(旧依田家住宅)


なまこ壁の蔵と門/門の横になまこ壁が建ち並ぶ姿が特徴的な旅館「山光荘」です
「長八の間」漆喰鏝絵/なまこ壁に開かれた窓を長八の鏝絵が飾ります。窓の両袖に「竹林に虎」、柱に「登り龍」、庇に「龍」が描かれ、茶色系の石肌も漆喰で造られた人造石です
山光荘の建築
旧依田家住宅は、鏝絵(こてえ)の名人入江長八(いりえちょうはち)が鏝絵を描いた蔵座敷や作品があることから、現在は、長八の宿「旅館山光荘」として親しまれています。 門の横に、なまこ壁の蔵が並び、正面に主屋の玄関を構えます。庭に面した座敷を客室とし、主屋の後ろには、なまこ壁2階建の蔵座敷「長八の間」が建っています。2階北側の庇付きの窓と東側の小庇に、長八の見事な漆喰鏝絵を見ることができます。


長八の漆喰鏝絵「阿吽(あうん)の虎」
「長八の間」北側の窓両袖には、一対の虎が漆喰で立体的に描かれています。右側の天を仰ぎ吠える虎は、渡り廊下からも見ることができます。左袖の外側には竹の鏝絵が描かれ、長八の「天祐居士(てんゆうこじ)」の落款(らっかん)が刻まれています。
山光荘は、長八の漆喰鏝絵作品を楽しむことができる旅館です。通りを東に進むと、なまこ壁通りと呼ばれる近藤家住宅があります(内部非公開)。
名称 | 山光荘(旧依田家住宅)〈さんこうそう(きゅうよだけじゅうたく)〉 | ||
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概要 | 【住居】木造平家建・2階建、桟瓦葺 | ||
年代 | 主屋・穀蔵:江戸時代末期 蔵座敷:明治時代初期 | ||
電話番号 | 山光荘/0558-42-1047 | ||
所在地 | 松崎町松崎280 | 定休日 | − |
営業時間 | − | 駐車場 | 25台 |
料金 | ー | ||
アクセス | 公共交通機関:修善寺よりバス約105分、松崎ターミナル下車徒歩約35分 車:沼津ICから南に約72㎞、約120分 |
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ホームページ | http://www.d3.dion.ne.jp/~hidenaot/ |
2013年03月19日
明治商家中瀬邸(旧依田直吉邸)
松崎町
明治の松崎港に栄えたなまこ壁商家の建築
明治商家中瀬邸(旧依田直吉邸)


正面全景/なまこ壁の主屋を中央に、その両脇には、なまこ壁の土蔵が建ち並んでいます
ミセ/正面通りを土間とした、広く開放的なミセです。左奥に西側の土蔵が接続し、扉が開かれています
明治商家中瀬邸の建築
松崎港の南東の那賀(なか)川沿いに建つのは、呉服商依田直吉邸です。絹織物から洋織物まで衣料品を幅広く扱っていたといいます。なまこ壁の主屋と土蔵2棟が残り、現在一般的に使用されている、断面が丸い西洋の釘「洋釘」が、いち早く用いられました。輸入品の洋釘を使うことができたのは、下田港に近い松崎の豪商であったからと思われます。 主屋の中に入ると、正面通りを土間として、その奥に広い板敷きのミセが構えられています。ミセの奥には土蔵の観音開きの扉が開かれ、黒漆喰(くろじっくい)で仕上げられたなまこ壁が黒光りしています。主屋の奥の座敷には、良材が揃う床の間や棚があり、付書院(つけしょいん)は軽快なデザインの欄間と小障子で構成されています。


大きくカーブした屋根
座敷の先には、離れにつながる渡り廊下があります。屋根を見上げると大きくカーブしていることに気づきます。よく見ると木材そのものを大きく曲げていることがわかります。これは曲げ物を得意とする船大工の仕事で、港町ならではの技法です。
なまこ壁の明治商家が見学できます。館内には、漆喰鏝絵実演コーナーや喫茶コーナーがあります。
名称 | 明治商家中瀬邸(旧依田直吉邸) (めいじしょうかなかぜてい(きゅうよだなおきちてい)) |
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概要 | 【店舗】木造2階建、桟瓦葺、大工齋藤三左衛門 | ||
年代 | 1886〜87(明治19〜20)年 | ||
電話番号 | 明治商家中瀬邸/0558-43-0587 | ||
所在地 | 松崎町松崎315-1 | 定休日 | 無休 |
営業時間 | 9:00~17:00 | 駐車場 | 20台(3時間無料) |
料金 | 入館料大人100円、中学生以下無料 | ||
アクセス | 公共交通機関:修善寺駅よりバス約105分松崎バスターミナル下車徒歩約15分 車:沼津ICから南に約72㎞、約120分 |
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ホームページ | http://www.izu-matsuzaki.com |
2013年03月19日
福田家
河津町
『伊豆の踊子』の舞台、天城街道の旅館建築
福田家


全景/踊子たちと天城山隧道を抜けて、河津七滝を見ながら河津川沿いに下り、到着したのが湯ヶ野でした。「小川のほとりにある共同湯の横の橋を渡った。橋の向こうは温泉宿の庭だった」。この温泉宿が「私」が案内された宿「福田家」です
踊子の一 縁側/川端康成が滞在した客室からは、河津川に架かる橋、踊子が走り出た共同湯、そして湯ヶ野の風景を楽しむことができます
伊豆の踊子
『伊豆の踊子』は、天城湯ヶ島から下田までの踊子と「私」の旅路を描いた川端康成(かわばたやすなり)の小説です。1918(大正7)年、19歳の康成がはじめての伊豆旅行で訪れた福田家と湯本館が作品に登場します。
福田家
河津川沿いに建つ福田家は、湯ヶ野の温泉旅館です。康成が滞在した橋の袂(たもと)の客室「踊子の一」は、2方向に手摺付の縁側を廻らした開放的な造りで、湯ヶ野の風景を楽しむことができます。


「伊豆の踊子」の内湯
玄関脇の「榧(かや)風呂」が内湯として登場します。浴場は、榧の浴槽と伊豆石で造られ、壁は花柄のタイルで飾られています。今にも踊子が現われそうな内湯です。
橋の袂の「踊子の一」に宿泊することができ、下記の時間帯は、資料館と一緒に見学ができます。榧風呂は日帰り入浴で楽しむことができます。
名称 | 福田家(ふくだや) | ||
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概要 | 【旅館】木造2階建、桟瓦葺 | ||
年代 | 1879(明治12)年 | ||
電話番号 | 福田家/0558-35-7201 | ||
所在地 | 河津町湯ヶ野236 | 定休日 | 不定休 |
営業時間 | 10:00〜16:00 | 駐車場 | 8台 |
料金 | 見学料200円、入浴料700円 | ||
アクセス | 公共交通機関:河津駅より車で約15分 車:沼津ICから南に約60㎞、約100分 |
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ホームページ | http://izu-fukudaya.com/ |
2013年03月19日
修禅寺と温泉街
熱海市
弘法大師によって開かれた寺院と温泉の街
修禅寺と温泉街


修禅寺本堂 正面/入母屋屋根の本堂の正面は、軒を唐破風(からはふ)に造り、軒下は豊かな彫刻で溢れています
修禅寺と温泉街/修禅寺を中心に温泉街が広がっています。桂川対岸の山には鎌倉幕府2代将軍源頼家の墓と、母・北条政子によって創建された指月殿があります
修禅寺
修禅寺は、平安時代に弘法大師(こうぼうだいし)によって開かれた名刹(めいさつ)です。鎌倉時代には、2代将軍源頼家が修禅寺で暗殺され、母・北条政子によって指月殿が創建されました。室町時代に曹洞宗に改宗し、現在は禅道場です。1863(文久3)年の火災後、現在の伽藍(がらん)に整えられました。 山門の正面に建つ本堂は、1885(明治18)年に再建され、豊かな建築彫刻で溢れています。
修善寺温泉街の旅館建築
修善寺の温泉街は、「独鈷の湯」を中心に広がり、現在も温泉旅館が軒を連ねています。文人墨客達も訪れ、修善寺を舞台とした作品が数多く創造されました。


独鈷(とっこ)の湯
修善寺の中央を流れる桂川に湧出する温泉です。平安時代、弘法大師が川で病気の父の身体を洗う子供を見て、密教で用いる法具(ほうぐ)「独鈷杵(とっこしょ)」で岩を叩いたところ、温泉が湧き出たことから「独鈷の湯」と呼ばれ、ここから修善寺温泉がはじまりました。
修禅寺の境内は自由に参拝でき、宝物殿では寺宝が拝観できます。
名称 | 修禅寺本堂(しゅぜんじほんどう) | ||
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概要 | 【寺院】木造平家建、入母屋造り、桟瓦葺 | ||
年代 | 1885(明治18)年 | ||
電話番号 | 修禅寺/0558-72-0053 | ||
所在地 | 伊豆市修善寺964 | 定休日 | 無休 |
営業時間 | 宝物館 8:30~16:30 (10〜3月は16:00まで) |
駐車場 | 周辺有料駐車場利用 |
料金 | 宝物殿入館料300円 | ||
アクセス | 公共交通機関:修善寺駅よりバス約10分修善寺温泉下車 車:沼津ICから南に約32㎞、約45分 |
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ホームページ | http://shuzenji-temple.com/ |
2013年03月19日
湯本館
伊豆市
『伊豆の踊子』の舞台、天城街道の旅館建築
湯本館


玄関/川端康成執筆の宿「湯本館」です
「川端さん」/川端康成『伊豆の踊子』執筆の間です。四畳半の小さな空間は、存在感あるコブ付の床柱と傘状の天井によって独特の空間に仕上げられています
伊豆の踊子
『伊豆の踊子』は、天城湯ヶ島から下田までの踊子と「私」の旅路を描いた川端康成(かわばたやすなり)の小説です。1918(大正7)年、19歳の康成がはじめての伊豆旅行で訪れた福田家と湯本館が作品に登場します。
湯本館
湯本館は、天城湯ヶ島の狩野(かの)川沿いに建つ温泉旅館です。川端康成が『伊豆の踊子』を執筆したほか、多くの文豪が訪れました。玄関には踊子の踊りを見た階段が現われます。康成執筆の部屋は、2階の四畳半「川端さん」ですが、渓流沿いに並ぶ客室「山桜」を好んで滞在しました。
川端康成の『伊豆の踊子』執筆の部屋「川端さん」や「資料館」の見学ができ、日帰り温泉も楽しめます。客室「山桜」には宿泊することができます。
名称 | 湯本館(ゆもとかん) | ||
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概要 | 【旅館】木造2階建、桟瓦葺 | ||
年代 | 1908(明治38)年 | ||
電話番号 | 湯本館/0558-85-1028 | ||
所在地 | 伊豆市湯ヶ島1656-1 | 定休日 | − |
営業時間 | 12:00〜15:00 | 駐車場 | 10台 |
料金 | 入館料300円、入浴料800円(入浴時間はお問い合わせください) | ||
アクセス | 公共交通機関:修善寺駅より車で約20分 車:沼津ICから南に約36㎞、約60分 |
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ホームページ | http://www.yumotokan-izu.jp/ |
2013年03月19日
落合楼村上
伊豆市
川が落ち合う場所に建つ天城湯ヶ島の老舗旅館の建築
国登録文化財落合楼村上


紫檀宴会場 大広間/108畳敷の大広間には、大きな床の間が構えられています
全景/狩野川の起点の西岸に建ち並ぶ旅館「落合楼」です。狩野川の豊富な水量を活用した落合楼発電所が近年再生されました
落合楼
本谷川(ほんたにがわ)と猫越川(ねっこがわ)が合流して狩野川となる地に、1874(明治7)年、旅館「眠雲楼(みんうんろう)」として創業しました。明治14年に滞在中の山岡鉄舟が、二つの川が落ち合う様子から「落合楼」と命名し、北原白秋をはじめ、文人墨客達が訪れて作品を創造しました。
落合楼の建築
持越(もちこし)街道に玄関を開く旅館「落合楼」は、1933〜37(昭和8〜12)年に建てられた玄関棟、本館、眠雲亭(みんうんてい)、紫檀(したん)宴会場、配膳室階段棟、応接棟、住居棟の7棟から成っています。玄関を入り廊下によって館内に導かれ、狩野川沿いに建つのは、格式高い部屋が並ぶ本館です。敷地の一番奥には、数寄屋造りの眠雲亭が建っています。源氏物語の各巻から名付けられた6室の欄間には、その名にちなんだ模様が透かし彫りにされています。紫檀宴会場の2階は一室の大広間で、1階は三室で構成されています。優れたデザイン感覚と高い技術力が光る近代の旅館建築です。


大きな紫檀の柱
紫檀宴会場2階の大広間には、108畳の広さにふさわしい大きな床の間が構えられています。そこには直径40㎝以上ある圧倒的な存在感の床柱が2本立っています。これが銘木の一つ「紫檀」の柱で、宴会場の名に由来しています。
宿泊客のために、翌朝「文化財見学ツアー」(無料)が行われています。見学ツアーのみの参加は予約制(有料)です。見学ツアー参加者は、産業遺産の落合楼発電所も自由に見学できます。
名称 | 落合楼村上(おちあいろうむらかみ) | ||
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概要 | 【旅館】木造、玄関棟、本館、眠雲亭、紫檀宴会場、配膳室階段棟、応接棟、住居棟の7棟、大工青木清平 | ||
年代 | 1933〜37(昭和8〜12)年 | ||
電話番号 | 落合楼村上/0558-85-0014 | ||
所在地 | 伊豆市湯ヶ島1887-1 | 定休日 | ー |
営業時間 | 見学ツアー10:00〜(40分間) | 駐車場 | 20台 |
料金 | 見学ツアー1050円(ドリンク付) | ||
アクセス | 公共交通機関:修善寺駅より車で約20分 車:沼津ICから南に約36㎞、約60分 |
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ホームページ | http://www.ochiairou.com |
2013年03月19日
三養荘本館(旧岩崎久彌別荘)
伊豆の国市
伊豆・箱根の連山を借景に大庭園に配された別荘建築
三養荘本館(旧岩崎久彌別荘)


老松 座敷/床の間に付書院を備えた「老松」の座敷構成は、格式高い座敷構成です
老松 正面全景/庭に面して配された大小の建物は、庇を廻らし、大きく軒先を出して、和風建築特有の軒下の空間を造っています
岩崎久彌と別荘
岩崎久彌は、三菱の創始者・岩崎彌太郎(やたろう)の長男で、三代目の社長を務めました。実業家として農耕や畜産にも力を注ぎ、自らの好みで小岩井農場と末広農場に別荘を建てます。そして伊豆長岡の古奈温泉の丘陵地に別荘を営み「三養荘」と名付けました。伊豆・箱根の連山を京都東山に見立てた広大な借景庭園に、数寄屋(すきや)建築を配した京風の別荘です。
三養荘の建築
広大な庭に面して東向きに建つ本館の建物が、岩崎久彌の別荘です。南に玄関を構え、その東に最も格式高い造りの「老松(おいまつ)」が続いています。玄関北側の2階建の建物には、四畳半台目(だいめ)の茶室と広間の座敷があります。その奥の「巴(ともえ)」・「松風(まつかぜ)」・「小督(こごう)」の3室は、喰い違いに配置され、東と南の2方向を庭に向けて開放する雁行形(がんこうがた)に造られています。


絶妙なカーブの天井
本館から北に延びる廊下の階段を上り、振り返ると、絶妙なカーブを描く天井に驚かされます。山で自然に曲がって育った丸太を選び、柱と柱をつないで、この天井のカーブを造り上げています。この発想と大工の技術は見事です。
広大な庭園に建つ数寄屋造りの本館に宿泊し、贅沢な別荘での時間を味わうことができます。日本を代表する建築家・村野藤吾が設計した新館も有名です。※三養荘庭園は、宿泊者のみ見学ができます。
名称 | 三養荘本館(旧岩崎久彌別荘) 〈さんようそうほんかん(きゅういわさきひさやべっそう)〉 |
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概要 | 【別荘】木造平家建・2階建、入母屋造り、柿葺 | ||
年代 | 1929(昭和4)年 | ||
電話番号 | 三養荘/055-947-1111 | ||
所在地 | 伊豆の国市ままの上270 | 定休日 | − |
営業時間 | ー | 駐車場 | 30台 |
料金 | ー | ||
アクセス | 公共交通機関:伊豆長岡駅より車で約5分 車:沼津ICから南東に約19㎞、約30分 |
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ホームページ | http://www.princehotels.co.jp/sanyo-so/ |
2013年03月19日
古奈別荘(旧久保政吉別荘)
伊豆の国市
伊豆長岡の源氏山を借景に営まれた大小4棟の別荘建築
古奈別荘(旧久保政吉別荘)


主屋/久保別荘の主屋として建てられた木造平家建の建物は、庭と離れに向いて大きく開放された座敷です
主屋 床の間廻り/大広間の奥には床の間を構えます。皮付丸太の床柱など、天然素材を組み込んだ造りになっています
古奈別荘
古奈別荘は、ウテナ化粧品の創業者久保政吉が、1934(昭和9)年から伊豆長岡の源氏山の麓に別荘を営み、昭和14年に古奈ホテルとして開業しました。
古奈別荘の建築
久保別荘として建てられたのは、本館である「主屋」と離れの「宇治」「田舎家」「京家」の4棟です。「主屋」は、木造平家建(ひらやだて)の座敷に鉄筋コンクリート造2階建の洋間を附属してビリヤードホールとしていました。最初に建てられた離れは、2階建の茅葺屋根が特徴的な茶室「宇治」です。茅葺屋根の「田舎家」は比較的規模が大きく、2室続きの座敷が設けられ、唯一瓦葺の「京家」は、本格的な茶室として建てられました。


木立の中の2階家
木造2階建の「宇治」は、どこか銀閣を連想させる姿だといわれています。1階に玄関と四畳半、2階に六畳を配する建物の屋根の形がそう思わせるのでしょう。歩みを進めると、銀閣とは異なる茅葺屋根の数寄屋建築の世界が広がっています。
昭和初期に建てられた離れ家「宇治」「田舎家」「京家」に宿泊し、数寄屋造りの別荘建築を楽しむことができます。食事は主屋の「大広間」でいただき、ビリヤードホールだった洋間は「サロン」になっています。
名称 | 古奈別荘(旧久保政吉別荘)(こなべっそう(きゅうくぼまさきちべっそう)) | ||
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概要 | 【別荘】主屋:木造平家建、入母屋造り、桟瓦葺、鉄筋コンクリート造2階建宇治:木造2階建、寄棟造り、茅葺 田舎家:木造平家建、寄棟造り、茅葺京家:木造平家建、寄棟造り、桟瓦葺 | ||
年代 | 1934〜37(昭和9〜12)年 | ||
電話番号 | 古奈別荘/055-948-1225 | ||
所在地 | 伊豆の国市古奈31 | 定休日 | − |
営業時間 | − | 駐車場 | 30台 |
料金 | − | ||
アクセス | 公共交通機関:伊豆長岡駅より車で約3分 車:沼津ICから南東に約16㎞、約30分 |
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ホームページ | http://konabesso.com/ |
2013年03月19日
木下杢太郎記念館・生家
伊東市
伊東の土蔵造りの商家「米惣」と杢太郎生家の建築
市指定史跡木下杢太郎記念館・生家


記念館 正面全景/道路に面して建つ土蔵造りの商家「米惣」です。この背面に杢太郎の生家が続いています
記念館 展示室/正面の戸を開くと、大きな土間が広がり、杢太郎の関連資料が展示されています
木下杢太郎記念館と生家
医学者にして文人画家と幅広い分野で才能を発揮した木下杢太郎(本名太田正雄)は、伊東の商家「米惣(こめそう)」に生まれました。道路に面して建つ、1907(明治40)年建築の土蔵造り2階建の商家が杢太郎の記念館になっています。設計者は、当家と親戚関係にあり、霞が関の現法務省の建物の工事を担当した河合浩蔵です。 その後ろに続くのが、1835(天保6)年に建てられた杢太郎の生家です。木造平家建(ひらやだて)の建物の中央に囲炉裏を切った8畳があり、土間には伊豆石のカマドが据えられています。背後には杢太郎が誕生したと伝えられる部屋があり、その境は棚に造られ、当時の茶の間や台所の様子を知ることができます。


木下杢太郎「誕生の間」
囲炉裏が切られた8畳の背後に、杢太郎が誕生したと伝わる部屋があります。現在4畳半のこの部屋は、かつて6畳であったと伝えられ、襖には杢太郎の家族の手習いの書を見ることができます。
土蔵造りの商家「米惣」には、木下杢太郎に関わる展示品が収蔵され、記念館になっています。その奥に続く杢太郎の生家も見学ができます。
名称 | 木下杢太郎記念館・生家(きのしたもくたろうきねんかん・せいか) | ||
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概要 | 【住居】記念館:木造2階建、寄棟造り、桟瓦葺、大工里見春五郎・里見辰蔵生家:木造平家建、切妻造り | ||
年代 | 記念館:1907(明治40)年 生家:1835(天保6)年 | ||
電話番号 | 伊東市立杢太郎記念館/0557-36-7454 | ||
所在地 | 伊東市湯川2-11-5 | 定休日 | 月曜(祝日の場合は火曜) |
営業時間 | 9:00~16:30 (10〜3月は16:00まで) |
駐車場 | 2台 |
料金 | 入館料大人100円、中学生以下50円 | ||
アクセス | 公共交通機関:伊東駅より徒歩約5分 車:沼津ICから南東に約50㎞、約90分 |
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ホームページ | − |