2013年03月19日
豊門会館(旧和田豊治家住宅)
小山町
富士東麓・駿河小山に移された邸宅建築
国登録文化財豊門会館(旧和田豊治家住宅)


和館 座敷15畳/2階奥の座敷は、中央に床の間を構え、棚と付書院(つけしょいん)を備えます。座敷の2方向を大きく開放して、縁側を廻らせます
庭園からの全景/左に洋館、右に和館が建ちます。部屋は、空を飛ぶ雁の列のように喰い違いに斜めに並ぶ「雁行形」に配置されています
豊門会館
豊門会館は、小山町の地域住民と富士紡績の従業員の福利厚生のために設立されました。建物は富士紡績社長を務めた和田豊治(とよじ)の東京向島の邸宅が移築され、1925(大正14)年に落成しました。
豊門会館の建築
豊門会館は、木造2階建の和館とサンルーム付の洋館から成る近代の邸宅建築です。和館の玄関の右側には、洋風の応接間、奥に広がる庭園に面して、縁側を廻らし雁行形(がんこうがた)に配された座敷が並んでいます。洋館にも玄関が設けられ、暖炉や出窓が備えられて、庭園側にはサンルームが張り出しています。


美しい曲線の手摺(てすり)
玄関脇には2階の座敷へ通じる階段があります。階段の手摺は美しい曲線を描き、先端は早蕨のように巻かれた「蕨手(わらびて)」に造られています。
豊門会館が建つ豊門公園内は、一般に開放されています。豊門会館建物の内部は、年数回(不定期)の一般公開の際に見学できます。ただし、団体(10名以上)の場合は、事前申込により見学が可能です。
名称 | 豊門会館(旧和田豊治家住宅) 〈ほうもんかいかん(きゅうわだとよじけじゅうたく)〉 |
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概要 | 【住居】和館:木造2階建、入母屋造り、桟瓦葺洋館:木造平家建、寄棟造り、スレート葺※公園内の西洋館(旧豊門青年学校)、正門、噴水泉、和田君遺悳碑も国登録文化財です | ||
年代 | 1909(明治42)年頃、1925(大正14)年移築 | ||
電話番号 | 小山町役場都市整備課/0550-76-6104 | ||
所在地 | 小山町藤曲144-8(成美小学校となり) | 定休日 | ー |
営業時間 | ー | 駐車場 | 13台 |
料金 | ー | ||
アクセス | 公共交通機関:駿河小山駅よりバス約5分小山役場前下車、徒歩約10分 車:御殿場ICから北に約14㎞、約25分 |
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ホームページ | ー |
2013年03月19日
秩父宮記念公園母屋(旧秩父宮御殿場御別邸)
御殿場市
富士山を西に望む御殿場の宮家別荘
市指定文化財秩父宮記念公園母屋(旧秩父宮御殿場御別邸)


全景/茅葺屋根の名主の民家が移築・改装されて、御別邸になりました。春になると玄関前のしだれ桜が見事に咲き誇ります
リビングルーム/英国調に改装されたリビングルームには、レンガで造られた暖炉が備えられています。英国製のカーテンや家具が取り揃えられ、書斎や食堂としても使用されました
秩父宮記念公園
秩父宮記念公園は、秩父宮家の御殿場御別邸が、妃殿下の遺言により御殿場市に寄贈されて、開園された公園です。
旧御別邸の建築
庭園奥の小高い場所に建つのが、茅葺屋根の御別邸の建物です。御殿場市深沢の名主小宮山家の主屋として、江戸時代中期に建てられた民家ですが、元大蔵大臣井上準之助の別荘として当地に移築され、その後、秩父宮御別邸となりました。 土間部分は、暖炉を備えた英国調の「リビングリーム」に改装し、囲炉裏がある「炉の間」、富士山を望む座敷「西の間」へと続いています。


額入りの富士山
「西の間」からは、庭園越しに富士山を望むことができます。登山を好まれた秩父宮殿下は、障子を開いて四季折々の富士山を楽しまれたと想像されます。
四季折々の花が楽しめる庭園と茅葺屋根の旧御別邸の見学ができます。
名称 | 秩父宮記念公園母屋(旧秩父宮御殿場御別邸)〈ちちぶのみやきねんこうえんおもや(きゅうちちぶのみやごてんばごべってい)〉 | ||
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概要 | 【別荘】木造平家建、入母屋造り、茅葺 | ||
年代 | 1723(享保8)年、1927(昭和2)年移築 | ||
電話番号 | 秩父宮記念公園/0550-82-5110 | ||
所在地 | 御殿場市東田中1507-7 | 定休日 | 第3月曜 (祝日の場合は翌日) |
営業時間 | 9:00〜16:30 (6〜8月は17:30まで) |
駐車場 | 80台(200円/回) |
料金 | 入園料大人300円、小・中学生150円 | ||
アクセス | 公共交通機関:御殿場駅より無料送迎バスで約10分 車:御殿場ICから南東に約1㎞、約3分 |
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ホームページ | http://chichibunomiya.jp/ |
2013年03月19日
小休本陣常盤邸
富士市
東海道間宿「岩淵」の小休本陣の建築
国登録文化財小休本陣常盤邸


内部全景/ミセの間からの内部全景です。部屋数が多く建具で間仕切られた開放的な空間で、奥の座敷が上段の間です
全景/平家建の建物の正面には、庇を設けて前土間としています
小休本陣常盤邸の建築
常盤家は、江戸時代初期から富士川右岸の岩淵村で、渡船名主(とせんなぬし)を務めてきました。岩淵は、東海道吉原宿と蒲原(かんばら)宿の間に位置する「間宿(あいのしゅく)」で、その休憩施設「小休本陣(こやすみほんじん)」の役割も果たしていました。ところが、安政の東海地震(1854年)で全ての建物が倒壊し、その後再建されたのが現在の建物で、小休本陣の特徴がよく現れています。 玄関を入ると奥まで通り土間が続き、さらに正面の庇(ひさし)部分も前土間になっています。部屋数も多く、部屋境は障子や襖(ふすま)で間仕切られた開放的な空間です。奥の座敷「上段の間」は、最も格式の高い部屋で、大名などの賓客(ひんきゃく)のみが休憩することができました。通り土間の奥には台所があります。


大名が休んだ上段の間
庭に面した奥の座敷が上段の間です。「上段」という名称の通り、この一室のみ床の高さが約9㎝高く造られ、大名などの賓客の座所となった部屋です。正面に床の間を構え、床脇には違い棚と天袋を備えた格式高い部屋です。
東海道の休憩施設「小休本陣」の建築を土間から見学することができます(公開日は土・日曜、祝日)。
名称 | 小休本陣常盤邸(常盤家住宅主屋) 〈こやすみほんじんときわてい(ときわけじゅうたくしゅおく)〉 |
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概要 | 【住居】木造平家建、切妻造り、桟瓦葺 | ||
年代 | 江戸時代末期(安政東海地震後の再建) | ||
電話番号 | 富士市立博物館/0545-21-3380 | ||
所在地 | 富士市岩淵455 | 定休日 | 公開日 土・日曜・祝日 |
営業時間 | 9:00〜16:00 | 駐車場 | なし(富士川民俗資料館P利用可) |
料金 | 無料 | ||
アクセス | 公共交通機関:富士川駅より徒歩約25分 車:富士ICから南西へ約7㎞、約16分(富士川民俗資料館駐車場より徒歩約8分) |
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ホームページ | http://museum.city.fuji.shizuoka.jp/ |
2013年03月19日
三嶋大社社殿
三島市
伊豆国の一宮、彫刻で溢れる大規模複合社殿
重要文化財三嶋大社社殿


全景/祭神を祀る本殿と幣殿、拝殿を一連として造った複合社殿です。高さ15mにもおよぶ大規模な木造社殿は、近隣県においても最大級です
正面/大きな屋根の拝殿正面中央は、曲線状の唐破風に造り、軒下は見事な彫刻で埋め尽くされています
三嶋大社社殿
三嶋大社は、伊豆国の一宮(いちのみや)として栄え、祭神三嶋大明神を祀る社殿は、安政の東海地震後の1867(慶応3)年に再建されたものです。本殿(ほんでん)・幣殿(へいでん)・拝殿(はいでん)を一連とした総ケヤキ造りの複合社殿で、高さ15mにもおよびます。社殿は豊富な彫刻で溢れ、特に正面は、日本神話や花鳥・霊獣など様々な題材の彫刻で埋め尽くされています。この膨大な彫刻群は、松崎町出身の彫刻師石田半兵衛一族と地元の彫工達によって彫られました。


三嶋大社社殿の頭上に広がる彫刻の世界
正面中央の唐破風(からはふ)部分を見上げると、多様な彫刻であふれています。獅子の上部には、日本神話の「天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天(あま)の岩屋戸(いわやと)からお出ましなる」様子が、兎毛通(うのけどお)しには中国の故事「黄石公(こうせきこう)と張良(ちょうりょう)の図」が描かれています。これらをひき立てるのは、立体的に刻まれた見事な彫刻です。
伊豆国一宮の三嶋大社へ参拝し、多種多様な彫刻の世界を味わうことができます。三嶋大社の東側で三嶋暦を製造販売していた三嶋暦師の館は、見学だけではなく、三嶋暦の印刷体験もできます。
名称 | 三嶋大社社殿(みしまたいしゃしゃでん) | ||
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概要 | 【神社】木造平家建、複合社殿(本殿・幣殿・拝殿)、銅板葺、大工井口宗左衛門・平田伝之輔 | ||
年代 | 1867(慶応3)年 | ||
電話番号 | 三嶋大社/055-975-0172 | ||
所在地 | 三島市大宮町2-1-5 | 定休日 | 無休 |
営業時間 | 宝物館 9:00〜16:30 | 駐車場 | 55台(200円/1時間) |
料金 | 宝物館拝観料大人500円、大学生・高校生400円、小・中学生300円 | ||
アクセス | 公共交通機関:三島駅より徒歩約12分 車:沼津ICから南東に約8.5㎞、約20分 |
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ホームページ | http://mishimataisha.or.jp/ |
2013年03月19日
楽寿館(旧小松宮彰仁親王御別邸)
三島市
池泉庭園「楽寿園」に営まれた宮家の別荘建築
市指定文化財楽寿館(旧小松宮彰仁親王御別邸)


楽寿の間/小浜池が描かれた大襖を開くと、中央に大きな床の間が現れ、その両脇には装飾豊かな棚が備えられています
全景/富士山の湧水を湛える小浜池に楽寿の間が映ります。その左には不老の間、右奥にはホールが続いています
楽寿園
三島市の自然豊かな公園「楽寿園」は、小松宮彰仁親王が、富士山の雪解け水が湧き出す小浜池(こはまいけ)一帯を別荘と定め、池泉(ちせん)回遊式庭園と邸宅を造営したものです。その後、李王家、緒明(おあき)家を経て、現在の楽寿園になりました。
楽寿館
1891(明治24)年6月28日に上棟した楽寿館は、小浜池に迫り出すように建てられた楽寿の間をメインに、不老の間、柏葉(はくよう)の間、ホール(李王家の増築)、玄関棟が中庭を囲み、廊下でつながれています。楽寿の間は、中央に床の間を構え、美しい襖絵(ふすまえ)・天井画で飾られた格式高い空間です。縁側の手摺(てすり)には、網を干した様子を図案化した京都修学院離宮の「網干(あぼし)の欄干(らんかん)」が忠実に再現され、宮家の好みがうかがえます。不老の間と柏葉の間は、天然の素材をいかし、宮家の綺麗(きれい)さびが表現された茶室空間です。楽寿館は、材料から装飾デザインまで吟味された、宮家にふさわしい別荘建築です。


座敷に輝く華麗な照明器具
楽寿館を代表する「楽寿の間」の天井には草花が描かれ、その中央には華麗な照明器具が光輝いています。伝統的な宮家の建築に新時代の光がもたらされ、近代のきらびやかな宮家の座敷空間をつくり上げています。
「楽寿館」は「楽寿園」内にあるため「楽寿園」への入園が必要です。「楽寿館」の館内一般公開は、1日6回、所要時間約30分、無料で行われています。見学希望者は下記時間前に「楽寿館」玄関前に集合してください。10:00、10:30、11:00、13:30、14:30、15:30(11~3月は15:00) ※開催日時はお出かけ前にお問い合わせください。
名称 | 楽寿館(旧小松宮彰仁親王御別邸) 〈らくじゅかん(きゅうこまつのみやあきひとしんのうごべってい)〉 |
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概要 | 【別荘】木造平家建、桟瓦葺 ※楽寿の間の絵画は県指定文化財 | ||
年代 | 1891(明治24)年上棟 | ||
電話番号 | 楽寿園/055-975-2570 | ||
所在地 | 三島市一番町19-3 | 定休日 | 月曜 (祝日の場合は翌日) |
営業時間 | 9:00〜17:00 (11〜3月は〜16:30) |
駐車場 | 82台 |
料金 | 楽寿園入園料大人300円、小人50円 | ||
アクセス | 公共交通機関:三島駅南口より徒歩約3分 車:沼津ICから南東に約8㎞、約20分 |
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ホームページ | http://www.city.mishima.shizuoka.jp/rakujyu/ |
2013年03月19日
松城家住宅
沼津市
西伊豆・戸田の船舶業、匠の技が光る近代の邸宅
重要文化財松城家住宅


2階 座敷/床の間と棚を構えた和風の座敷に、洋風の天井紙が張られ、曲線を用いた欄間や間仕切りの壁が、和洋融合した独特の空間を造り上げています
正面/アーチ状の伊豆石の門をくぐると本玄関が現れ、松崎町出身の彫刻師石田半兵衛の作品と伝わる彫刻で飾られています
松城家とヘダ号
松城家は代々廻船(かいせん)業を営んだ旧家で、安政の東海地震(1854年)の津波でロシア軍艦ディアナ号が沈没した際に、代船の造船御用掛(ぞうせんごようがかり)を務めました。日本初の洋式帆船ヘダ号の完成後、地元で洋式造船業を続け、ロシア人来訪時には、邸宅に招き交流を図りました。
松城家の建築
戸田港に近い屋敷は、伊豆石の塀で囲まれ、かつては水路で戸田港と結ばれていました。主屋にはベランダが設けられ、柱は円柱に造るなど洋風を模した部分が随所に見られます。また、鏝絵(こてえ)の名人入江長八(いりえちょうはち)による様々な漆喰鏝絵が建物の内外に施されています。2階の座敷にはポルトガル製手描きの天井紙が張られ、部屋境には曲線を用いた開口を設けて、和洋が絶妙なバランスで融合した空間を造り上げています。1階は和風の趣で、座敷や最も格式高い「上段の間」があり、本玄関の彫刻は彫刻師石田半兵衛の作と伝わるなど、匠の技が邸内に溢れています。


本物の窓はどれ?
西面の2階には、洋風の窓が3カ所あります。本物の窓は右端の1カ所だけで、他は漆喰鏝絵で描かれたものなのです。さらに半円形の青空を映したような青色の欄間と石積み風の壁も、入江長八の左官技術によるものです。
月に2回、無料で一般公開が行われています。(公開日は第1・3日曜)
名称 | 松城家住宅主屋(まつしろけじゅうたくしゅおく) | ||
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概要 | 【住居】木造2階建、寄棟造り、桟瓦葺、大工上田儀兵衛、左官入江長八 ※ミセ、文庫蔵、東土蔵、北土蔵、門及び塀も重要文化財です。 |
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年代 | 1873(明治6)年上棟 | ||
電話番号 | 沼津市戸田造船郷土資料博物館/0558-94-2384 | ||
所在地 | 沼津市戸田72 | 定休日 | 公開日 第1・3日曜 ※荒天時中止の場合があります |
営業時間 | 9:30〜12:00 | 駐車場 | 10台 |
料金 | 無料 | ||
アクセス | 公共交通機関:修善寺駅よりバス約60分戸田港下車、徒歩約10分 沼津港より高速船で約30分戸田港下船、徒歩約10分 車:沼津ICから南に約40km、約90分 |
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ホームページ | http://www.city.numazu.shizuoka.jp/kankou/sisetu/matsushiro/index.htm |
2013年03月19日
沼津倶楽部(旧三輪善兵衛別邸)
沼津市
駿河湾に臨む沼津の千本松原に営まれた別荘建築
沼津倶楽部(旧三輪善兵衛別邸)


サロン/ガラス窓から豊かな光が注がれ、天井の中央を高く持ち上げた、軽快で洋風の趣の部屋です。よく見ると天井一面に、薄板を編んだ2種類の網代(あじろ)が広がっています。このように部屋を構成する素材や細部の意匠に、洋間でありながら伝統的な和風の要素を見ることができます
松林に建つ数寄屋別荘/左端に「サロン」、右端に「茶室」が配されています
三輪善兵衛の別荘
狩野(かの)川河口から田子の浦に広がる千本松原の中に、ミツワ石鹸の創業者・2代目三輪善兵衛の別荘が建っています。この周辺から旧沼津御用邸がある牛臥(うしぶせ)海岸にかけては、かつて多くの別荘がありました。その後、沼津大空襲を免れて、沼津倶楽部となっています。
沼津倶楽部の建築
松林の中に歩みを進めると茅葺の長屋門が現われ、その奥に瓦屋根に大きな庇を持つ、数寄屋造りの建築が連なっています。別荘を代表するのは、洋風の趣でありながら、和風の要素で組み立てられた「サロン」です。これに座敷「清水(きよみず)」が隣接し、文机(ふづくえ)を備えた「二月堂」が続きます。後に移築された三畳台目(だいめ)の「茶室」もあります。田の字形に配された和室4室を開放した「ホール」は、現在レストランになっています。


日本建築の妙技を見せる天井
二月堂の室内をゆっくり見渡すと、各種の天井が造り出す、見事な空間を感じることができます。このように、沼津倶楽部の建築は、材料や意匠のみならず、空間を造り上げる天井の構成も見どころの一つです。
沼津倶楽部の数寄屋建築空間で、地元でとれた食材をふんだんに使った本格フレンチが楽しめます。食事の後は、館内をゆっくり見学することもできます。
名称 | 沼津倶楽部(旧三輪善兵衛別邸)〈ぬまづくらぶ(きゅうみわぜんべえべってい)〉 | ||
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概要 | 【別荘】木造平家建、桟瓦葺・茅葺、設計・施工柏木祐三郎 | ||
年代 | 大正初期 | ||
電話番号 | LE RESTAURANT(る・れすとらん)/055-954-6613 | ||
所在地 | 沼津市千本郷林1907 | 定休日 | 水曜 |
営業時間 | 12:00~13:30(LO)、18:00~20:00(LO) | 駐車場 | 20台 |
料金 | ー | ||
アクセス | 公共交通機関:沼津駅より車で約10分 車:沼津ICから南へ約9㎞、約20分 |
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ホームページ | http://www.numazu-club.com/ |
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2013年03月19日
旧沼津御用邸(東附属邸・西附属邸)
熱海市
沼津の景勝地牛臥海岸に営まれた御用邸の建築
旧沼津御用邸(東附属邸・西附属邸)


東附属邸 第1学問所/昭和天皇が学ばれた御学問所です。床の間を構え、平書院と左右段違いの違い棚を備えた、最も格式高い部屋です
西附属邸 御座所(居間)/簡素な造りの御座所の建築ですが、居間は床の間を構えた格式高い造りになっています
旧沼津御用邸
沼津の牛臥(うしぶせ)海岸に営まれた御用邸は、1893(明治26)年に皇太子殿下(後の大正天皇)の御静養施設として本邸が建築されると、明治36年には皇孫殿下(後の昭和天皇等)の御学問所として東附属邸が、明治38年には皇孫殿下の御用邸として西附属邸が建てられました。沼津大空襲による本邸焼失後は、西附属邸が本邸の役割を担いました。
東附属邸の建築
東附属邸は、東京赤坂離宮の東宮大夫(とうぐうだいぶ)官舎を移して御学問所としたものです。中でも第一学問所は、床の間を構えた最も格式高い造りになっています。現在は、一部茶室として改修し、庭園には公共茶室が建っています。
西附属邸の建築
西附属邸は、川村純義伯爵(すみよしはくしゃく)別荘を謁見所(応接室)などの公式部分とし、それに皇居内の賢所(けんしょ)附属屋を御座所(居間・寝室等)などの居住部分として移築しました。その後、御車寄(みくるまよせ)と御玉突所(おたまつきじょ)が増築されました。


浴室
西附属邸の御座所等から成る居住部分に、浴室「御料浴室(ごりょうよくしつ)」があります。浴槽のない掛かり湯式の浴室です。床の中央に排水溝を設け、そこに向けて床を傾斜させた造りになっています。
旧沼津御用邸は、沼津御用邸記念公園として公開されています。公園への入園・西附属邸の内部観覧、東附属邸の庭園の見学もできます。東附属邸は、研修や茶会などの施設利用ができ、利用がない場合は邸内の見学もできます。
名称 | 旧沼津御用邸(きゅうぬまづごようてい) | ||
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概要 | 【別荘】木造平家建、桟瓦葺 | ||
年代 | 東附属邸:1903(明治36)年(赤坂離宮東宮大夫官舎)移築西附属邸:1890(明治23)年(旧川村純義伯爵別荘)、1906年(皇居内賢所附属屋) 移築、1908年(御車寄、御湯殿)、1922(大正11)年(御玉突所) | ||
電話番号 | 沼津御用邸記念公園/055-931-0005 | ||
所在地 | 沼津市下香貫島郷2802-1 | 定休日 | 無休 |
営業時間 | 9:00〜16:30 | 駐車場 | 100台(2時間まで300円) |
料金 | 入園・観覧料大人400円、小・中学生200円 | ||
アクセス | 公共交通機関:沼津駅南口よりバス約20分御用邸下車 車:沼津ICから南へ約14㎞、約30分 |
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ホームページ | http://www.numazu-goyotei.com |
2013年03月19日
安田屋旅館
沼津市
内浦湾に臨む三津浜、太宰治執筆の宿
国登録文化財安田屋旅館


全景/3つの屋根が、空を飛ぶ雁の列のように喰い違いに斜めに並ぶ「雁行形(がんこうがた)」に造られています。客室は角部屋になり、2方向に大きく開かれています。手前の2連の屋根が松棟、奥が月棟で、手前の2階の部屋が「月見草の間」です
「月見草の間」からの富士山/目の前には三津(みと)の海が広がり、淡島(あわしま)の奥には優美な富士山がそびえ立っています
安田屋旅館
1887(明治20)年に旅籠(はたご)として始まった安田屋は、1918(大正7)年、当地へ移り、松棟を建てて観光旅館を開業しました。その後、南側に月棟を建て、三連の瓦屋根が特徴的な現在の姿になりました。
太宰治
太宰治が松棟2階「月見草の間」に滞在し、『斜陽』の執筆を行ったのは、1947(昭和22)年のことでした。滞在中は伊豆長岡へも通っていたそうで、作品中には三津の海や伊豆長岡の情景が描かれています。
松棟・月棟の建築
松棟は、部屋を喰い違いに配置して角部屋に造り、2方向に廻る手摺(てすり)付の縁側からは、海と富士山を望むことができます。客室の床の間廻りのデザインや欄間がそれぞれの部屋を特徴付け、上下階をらせん階段が結んでいます。月棟は、松棟に続いて喰い違いに建てられ、ケヤキの階段によって、2階の海沿いの客室へ導かれます。


大きな「らせん階段」
松棟の1階と2階をつなぐのが、幅約1.8mの大きな「らせん状」の階段です。中央に立つ大きなスギの丸太は、天井裏までまっすぐ延びています。2階の「月見草の間」に滞在した太宰治も踏みしめた階段だと思うと胸が躍ります。
安田屋旅館では、太宰治が眺めた三津浜の景色を、海沿いの客室から楽しむことができます。予約をすれば食事と温泉のみの利用もでき、近代の和風旅館の雰囲気を味わうことができます。太宰治にちなんだ「伊豆文庫」には、伊豆ゆかりの文学作品が揃っています。
名称 | 安田屋旅館(やすだやりょかん) | ||
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概要 | 【旅館】木造2階建、入母屋造り、桟瓦葺 | ||
年代 | 松棟:1918(大正7)年、月棟:1931(昭和6)年 | ||
電話番号 | 安田屋旅館/055-943-2121 | ||
所在地 | 沼津市内浦三津19 | 定休日 | ー |
営業時間 | ー | 駐車場 | 20台 |
料金 | ー | ||
アクセス | 公共交通機関:伊豆長岡駅よりバス15分三津シーパラダイス前下車 車:沼津ICから南に約25㎞、約40分 |
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ホームページ | http://mitoyasudaya.com/ |